THROWBACK,2023年、吉川アクアパーク。コラボプロジェクトの結実。
column 35
昨年秋、go parkeyがアメリカのアートコート・リノベーションチームのPROJECT BACKBOARD(以下PB)とコラボしたプロジェクト。埼玉県・吉川市のアクアパークでの共同作業。アーティスト舘鼻さんの光芒も描かれた作品を特大の絵画(プレイグラウンド)として完成させた日。PBチームのひとり、シェエルトンに託されたこのコラボ物語を締めくくるお題。それについての今夜はスローバックなコラム。
Article_go parkey
Photography_Kenji Nakata
We are playground basketball residents like pikeys!!!
来日したPBのロスターは、プロジェクトの実務とディレクションを総括するポイントガードのサム。サムの弟でペンキの準備や工具全般の手配と管理をするフィジカルが物をいうパートを担当する、パワーフォワードのドリュー。スクイージを巧みに操りスピーディかつ的確なペイント全般を受け持つ、スイングマンのエドウィン。そして、彼らの活躍を記録しつつ良い雰囲気をつくる、ムードメーカーなコンボガードのシェルトン。付け加えると、全員がペイントとそのためのマスキングをするのは当たり前。一人3役くらいはこなす。これはgo parkeyや、バスケチームLOVE GAMERSドットCOM(go parkey界隈のメンバーがジョインする草チーム)でもデフォルトな理念でもある。基本、ポジションレスで全員がスイッチ・ディフェンス(どのパートを担当しても)しても、ゴールできるのが一番良い。NBAでいえば、2023シーズンのオクラホマ・サンダーといったところ。
それで、そのシェルトンなんだけども、基本的には作業を手伝いながら、その一方でフィルミングしたりシューティングしたりして活動を記録する。いわばメディア担当である。クライマックスは完成し、まだ人が足を踏み入れていないアートコートの撮影だ。あらかじめ見つけておいた、寄り(ディティールカットといいます)と引きのベスポジから撮影した後は、ドローンを飛ばしてまふかんの絵を収める。さらにはもっと高く飛ばして街(コミュ二ティ)とアートコートの親和性も撮影する。これは長年つくっているスケートマガジンでも言えることだが、メインになる撮影者が複数人いる場合は、アングルに対するイニシアチブとコミュ二ケーションというパワープレイが重要になる。とくに黄昏時から日没後は、誰のフラッシュで撮影するのかという問題が生じる。フラッシュは各々が立てると、まったく絵にならない。だから、必然的にヘッドライナーが決められ、その撮影者のフラッシュの光を借りながら他の者がシャターを切るということになる。
このアクアパークはプロジェクトそのもの、作業すべてがコラボレーションだった。そして、メディア部分もそうだった。たいがいアングルやフラッシュの取り合いで一触触発とか不穏な空気がちょっとは出るものだが、このときは皆無だった。おたがいが見つけたアングルを尊重しあい、シェルトンはこちらが見つけたアングルに新鮮さを感じ、こちらはシェルトンの躍動的な撮影方法に良い影響を受けたりした。だから、作業終わって夜になったら、もっと紀行記録を撮りたいんじゃないかなと思って、彼を東京タワーに連れていったり、増上寺の立派なエンタシスな門構えへのシャッターチャンスを誘ったりもした。そういう道中では、シェルトンからマガジンや写真集をつくるときのアイデアやゴールデンルールなどについての質問が矢継ぎ早に飛んだのだった。写真とそれをページにするときのこだわりについて、おたがいが話すのは、それぞれのチームのメディア担当ならではの交流だった。彼から、一緒に写真集をつくりたいとオファーもされたが、このプロジェクトも粛々と進めていこうと思っている。
シェルトンとの初対面。もちろんそれはダートで粗いリノベ前のアクアパークでシェイクハンズしたときのこと。彼が真っ白なエアフォース1を履いていたので、すぐにピンときた。キープフレッシュ!なんて言って、よそ行きのときに新しいスニーカーを履くのもいいけれど、彼はその逆、真新しいそれをこの1プロジェクトでペンキだらけになっていく様を記録するのだろう。口が減らないこちらは、すぐに「それはアートコートつくるたびにコレクションする生き字引になるのかい?」とツッコんだら、シェルトンは一気に破顔した。そして、データフォルダにアーカイブされた数々のスニーカーコレクションならぬペンキ塗れエアフォース1コレクションを見せてくれたのだった。作業が進むうちに、彼のエアフォース1だけでなく、みんなのスニーカーやショーツがペンキ塗れになっていく。これはいくら丁寧に作業していても、ペンキをスクリューで混ぜるときと、使用済みのヘラや工具を洗うときにどうしても跳ねてしまう。それは仕方がないことであり、同時にペイントも最終段階に入ってきて、完成が待ち遠しくなるのであった。
ということで、コレクションを引き継ぐわけになったのだけど、32cmもある彼のサイズを収録する木箱なんて簡単には見つからない。だから、自分たちで組み立て、ネームプレートなんかも自作した。go parkeyで写真を撮ってくれている中田君にも協力してもらった。仕上げは、今現在、アートコート作業中の千葉のコートでのランチ。あまり食べなくなったマクドナルドへ行ってテイクアウト。それは吉川でのコラボ作業中はいつも食べていたマクドナルド好きのシェルトンへのアンソロジーのため。それをレイアウトしてついに完成。吉川アクアパークがローンチしてから10ヶ月くらい経っていた。ようやくそのアートコート・プロジェクトの全コラボレーションが完結した気持ち。今後、PBとまたコラボしていくことがあると思うが、そのたびにこのコレクションも増えていくことになるのだろうか。楽しいような、大変なような、不思議な気分。今はなる早でシェルトンにこれを手渡したい。そのとき彼がどんな風に笑うのか。楽しみだ。
思えば、吉川アクアパークではさまざまな良いリレーションシップ、コラボレーションが生まれていた。前述のコレクションしかり、動画もPBとgo parkeyでおたがいフッテージを交換して制作もした。ペイントから片付けに舘鼻さんのエキシビジョンまで一緒に行動した。そして、キッズ(ジョー君)によるアートコートのミニチュアも登場したりと、素晴らしいアートに触発された良いフローがあった。誰のものでもない、ただ、正しく楽しいことを残したい。そういう気持ちが蔓延することで、ギスギスしたアングル泥棒やフラッシュ争奪戦などとは縁遠くなる。これは大きな気づきにもなった。我々が続けていきたいのはこういうことなのだと再認識できた。だから、改めて書き残しておきたい。「PB、ありがとう。シェルトン、ありがとう。そしてひたすら続けていこう、ともに」。
完全なる蛇足だが、とある撮影仕事のこと。ゴール下の砂かぶりポジション。どんなメディアもダンクの迫力や肉弾戦をそこで撮りたい。しかし、限られたその場所はオフィシャル・メディア(後に公式写真として配信。誰もが使用できる)が陣取るか、もしくは譲り合って、運と腕に力をこめて有限のシャッターチャンスを撮るかがゴールデンルールというか撮影者の美意識。そんな場所に、遠隔シャッターのカメラをドカッとセットして、ようはそこで狙いもせずに横柄にシャッターチャンスを全部ちょろっつぁんしてるような人は、同時にそのせいで他の撮影者をそこに行けなくさせる、そんなのはプロでもなんでもない。そして、そういう人ほど年下とかにマウント効かせた態度で、それをフレンドリーという演出と勘違いして会場内を闊歩する。はっきりいって昔すぎる。昭和のような撮影姿勢。うんざりで交流する気もない。そんな現場がまだ多いこの国で、PBとのリレーションシップやコラボは、上下関係もなく、おたがいが才能や愛情だけで繋がっていくものだったから、本当に楽しかった。本当に美しい。go parkeyはいつでもそういう部分だけでプロジェクトをプッシュしていく 。それが絶対に未来をつくる。そう信じている。さあて、塗りに行きますか。