ユク年クル年、楽シク正シク燃エタ日々ノ顛末記。

column 029

プロジェクトバックボード(以下PB)の面々がアメリカへ帰国して早2ヶ月。濃密にセッションした日々の思い出は、アクアパークのアートコートの鮮やかさと同じく残像が強い。次はいつ、どこのコートでセッションするか。そんなことをメールでやりとりしながら、それぞれの日常を送っている。来たる新年2024を目前に控えて、今回は暑くて熱かったPBとの思い出をまとめた、私的コラム。

Article_go parkey
Photography_Kenji, Jeremy, Shelton and Kota Okuyama
We are playground basketball residents like pikeys!!!

12月、PBから届いたショーツやTシャツ、それにメッセージ。再び一緒にプロジェクトをやる日を楽しみにしている思いが綴られていた。思えば、go parkeyの2人とPBチームは良くも悪くも似ているところが多かった。まずはスタンス。それぞれの休憩の取り方。食べ物の好き嫌いによる食事の自由さ。ある程度のフォローと助け合いはしつつも基本は自分のパートを責任持って完璧にこなすことがプライオリティ。そして、伝えたいとこはその都度伝え、確認し、後回しにしない。ふざけたいときにふざけるが、メリハリはある。そして、違いを認めう。そんな感じだ。だから、リーダー格のサムが、「せっかくの異国に来たのだから、その国の文化も取り入れたい」ということで。地下足袋で作業したり、ワークマンのポケットがこれみよがしに付いたベストを着て歓喜している。その隣で、撮影とコンテンツ制作担当のシェルトンは、「ナイキのAIR FORCE1しか俺ははかないし、コーラとハンバーガーしか食べない」と、かなりの偏食ぶりを見せつける。そんな具合だ。だから、作業中、ランチタイムはまちまちだったし、すぐにカロリー切れするエドウィンはちょいちょい現場を離れたりした。たしかに、エドゥインは大きめのフルコートを、たった1人でスクイージー(ペンキを塗るモップのような大型ハケ)を巧みに操り、半日もかからずに2層塗りしてしまうような仕事っぷりで、カロリー消費がすさまじいとは思う。しかもムラなくパキパキにペイントする。見た目は陽気なメキシカンだが、そのままノリのみで雑な仕事、ということは決してなかった。しっかりと、美しい仕事をしていた。見た目のステレオタイプでジャッジしがちな日本では生き抜くいタイプだと、余計なお世話を書きたくなる。笑。それは、そのまま私(go parkeyのABじゃない方)も長年、この国で食らってきたことなのだが。とにかくPBとgo parkeyは言いたいこと、言わなくてはいけないことを、しっかり忖度なく言い合う者同士だった。言える相手にだけ言うとか、いいかっこしいとか、そういったものとは無縁の関係性は、英語ができる・できない、ということよりも、ときに共通言語になる。シェルトンが早口でまくしたてる。私に聞きたいことがあるからだ。それはABや他の誰かに聞いても意味がない。なぜなら、写真の選び方や写真に求める構図やシチュエーションについてだったり、ページネーションのアイデアだったりするからだ。だから、私に聞きたいが、私はシェルトンの早口のブロークン・イングリッシュをすぐには理解できない。すると、シェルトンは苛立ちを隠さない。そして、「ABはどこだー? トランスレートしてくれー」となる。その度に、私はシェルトンに言った。「私に聞きたい、私と話したいなら、ペイシェントー!(辛抱)だ」と。シェルトンも私もバスケットが好きだ。ましてやシェルトンはNCAAデヴィジョン1の大学のバリバリのスタメンポイントガードだった男だ。ペイシェントではなく、ペイシェントー!で、私が何を意味して、伝えているかがわかる。このペイシェントー!は、ネットフリックスのドキュメンタリー『バスケがすべて』の舞台、ナバホネーションのチンリ高校の監督、メンドーサ氏がゲーム中に何度もする掛け声だ。ディフェンスとオフェンス・コミュニケーションを続けられない選手たちに監督が語りかける。ペイシェントー! ということで、シェルトンと私はそうやってコミュニケーションの1on1を続けた。バスケが好きなら、スケボーが好きなら、アートや写真に取り憑かれているなら、そうであるならば知ってるネタとかトピックスとかシャレをシェアできる。そういうものがあるかどうか。それは大きい。うまいとかヘタとか年齢だけで、チームやコミュニティの中で立ち位置が決まってしまうような競技性より、公園バスケはもう少し幅が広いしカチコチしていない可能性がある。それは何もキッズに言えることだけではない。その他さまざまなパートで、それは生きている。そこで通じ合えてくると、よりおもしろいリレーションシップが成立してくる。go parkeyはそういう部分もプロジェクトとコートにペイントしたい。シェルトンとのやりとりは、まさに吉川市アクアパークのラフで凸凹したグランドワークのバッドランズな感じから、だんだんと作品の完成に近づいていくのと同じで、作業が進むほどに、濃く、強くなっていったのだった。

Photography by Shelton

PBのサムとドリューは実際の兄弟。このピーターソン・ファミリーは、長兄ダンがチームのまとめ役。今回は来日しなかったが、go parkeyもダンとは何かにつけてコミュニケーションを取っている。ドリューは7人いる兄弟の一番の末っ子で、まだ20代前半だ。しかし強いフィジカルを生かしたガードプレーヤーで、グランドワークでは、重い砂をシェイクしたり、エドウィンが凄まじいパワーで塗りきっていき、すぐに足りなくなってしまう塗料をレスキューしていく(混ぜて、スクリューして、デリバリーする)ハードワークを一手に担っていた。手があけば汚れた工具をガシガシ洗ったり、ふらりと緑豊かな隣の公園へ散策しに行っていた。それを誰かが気に咎めることもない。そうやってハードワークとのバランスを取っている。そのバランスの取り方はそれぞれにあるはずで、それでよろしい。「ハブ・ア・レスト」なんて言っても、ドリンクも一緒に摂って、監督のくだらないダジェレに愛想笑いをしなきゃいけないとなると、休憩とかリフレッシュにならない。上司とランチに行く部下にも、部下を引き連れていく上司にも、私はなりたくない(これはgo parkeyではなく私の個人的な感想だけど)。そんなドリューには気になることが1点あった。それは作業中、ひたすらバスケショーツを裏返しではいていること。ちなみに、PBもgo parkeyも、作業には、自分たちでつくったオリジナルTシャツとバスケショーツのセットアップが基本。それがルールでもないし制服でもないけれど、そのままバスケしちゃえるし、バスケの着替えなら自室にいくらでもある消耗品ということで、自然とそうなってくる。それにサムのようなワーカースタイルな人は、ワークマンにあるポケットがたくさん付いてて、メジャーやマスキングテープやペンやカッターを常時持ち歩ける(今あるといいながある、あるといいなを持っている!)ファンクション満載のベストをはおったりする。今度、サムと一緒にプロジェクトをするときは、日本の美容師が腰にまいている、あの何十種類ものハサミやクシやピンを収納できる革ベルトをプレゼントしようかな。それで、ドリューのショーツ裏返し案件なんだけども、彼曰く、「ペイントワーク、グランドワークで、どうしてもグラフィックが汚れるだろ? だから、裏返しにしてるんだよ。作業終わったらそのままひっくり返せば、きれいなもんさ」と。とても良い笑顔でジ・アンサーしてくれたけれど、ふと思うのは汚れた面が、しっかりとアンダーウェアに接着(月面着陸)している。その不快感は、ドリューには関係がない。そのタフさ。羨ましい。そういえば、go parkeyのフィルミングを担うジェレミーは、かつてLAにいた。ヴェニス・リーグ(ヴェニスビーチのストリートリーグ)で撮影していた頃からPBの存在を知っていたから、今回のプロジェクトのセッションは特段に思い入れがあっただろう。アメリカのコートがどんどん美しくリノベーションされていく現実を知って、なぜ日本にはそれが少ないのかといつも思っていたはずだ。心優しい静かなる人物だから、凸凹なにかを言うタイプじゃないけれど、リノベーションされたコートが少しでも増えていくことに、そこに自らが関わっていることに、有意義性と喜びを抱いてくれているとは思う。そんな中で、ジェレミーは、かつてヴェニスビーチでプロジェクトをしたPBと、現在、自分がいる国でプロジェクトをプッシュしているgo parkeyのセッションを記録したのだった。

Photography by Jeremy

PBが来日、工事着工からアクアパークのローンチまでの時間。延べ1ヶ月間。その間には、グランドワークだけでなく、いろいろなことがあった。ゴール日が決まっていて、それはズラせないながらも、しかも天候という一番アテにならないが一番重要なものに左右されることがわかっていながらも、トゥ・ドゥ・リスト満載な間隙を縫って、PBとgo parkeyは「インテレスティング」なことを積極的に共有していった。1ヶ月間、全日一緒に行動するという、それは誰だってどこかではストレスなはずのミッションを、さらっとやってのけてしまうどころか、心から楽しんで吸収できるものは吸収し影響を与えれることはそうすることができるのは、代表ABの特性だろう。このスタンスの人物は実はなかなかいない。これは常々、私が彼を尊敬する部分の1つだ。私たちは、アクアパークに作品を描き下ろしてくれた作家、舘花則孝氏の個展のレセプションに出かけたり、シェルトンがインテレスティングなストリートブランドたちをチェックに行ったり、サムやエドゥインがインテレスティングなワークマンやセカンドハウスといった、作業アイテムやガレッジセールのようなザクザクのショップに行ったり、東京に暮らしてても滅多に行かない東京タワーにのぼったり、増上寺や浅草寺などの寺社に行ったりした。さらには日帰りで京都の寺社仏閣を散策しに行ったりもしている。同時に、私は、そういったハードワークとインテレスティングの素晴らしい融合が、彼らのモチベーションと美意識につながっていることを確信していった。サムは、もともとアートカレッジで学んでいたことも起因しているのか、もともとのアイデンティティか(たぶんこっち)、Tシャツやキャップなど自らが着用するものたちに必ずD.I.Y.なタギングをする。スポンサーロゴを描き込んだり、チーム名を書いたり。そこでも、異文化を知りたい彼だからこそ、日本語のカタカナで書いたりする。そんな彼のことを思い、go parkeyは、そもそもマス(自由に書き込む用)になっているTシャツを作ってプレゼントした。早速、彼はいろいろと手を加えていった。「日本語は難しい」と言いながら、その新しいフォルム・象形にトライする作業を楽しんでいるように自然と笑顔がこぼれていた。ロースターリストも小さくデザインしておいたんだけど、目ざとくそこにも気づいて、自分の名前と好きなジャージーナンバーを書いてあった。細部に気づき、細部から楽しんでいく感覚。私はこれをとても大切に思っていて、そういうことからクリエイティブははじまっていると確信している。やっぱりPBの連中も、間違いない。もちろんスタイルも意見も強いものを持っているから、ときにややこしいしディスカッションは避けられないが、だからこその確固たる美意識やアイデアやストーリーを持っている。そういうところがいい。そういうものを持っている面々だから、こちら側にも相応のアイデアとストーリーがあることを理解できるし、知ろうとしてくれる。このリレーションシップができるか、できないか。これはとても大切で、最もインテレスティングなことだと思っている。シェルトンは、毎回、リノベーション・プロジェクトに入るとき、自前のAIR FORCE1を新調している。そして、グランドワークからペインティング、そしてピックアップゲームと、徐々に工程が進んでいくと、それは当然、汚れていく。彼はコートとともに自身のシューズを真っ白なキャンバスと捉えていて、全行程が終了した後、それを作品としてコンプリートし、撮影、アーカイブしている。これを出会ったその日に、彼の真っ白なシューズを見て気づいた(想像できた)私に、彼はとても興奮し、これまでの膨大なコレクション写真を見せてくれたのだった。そして。吉川アクアパークが完成し、オープニングデーの日。シェルトンは、私にそのシューズをプレゼントしてくれた。いや、正確に言うならば、「託してくれた」。彼曰く「コート完成後、シューズを誰かに渡したことはない。しかし、今回はセンに渡したい。そして、センが作品として完成させ写真に撮って、その写真を送ってきてほしい」。これはグッときた。私が彼のライフワークである作品の一部に関わることになる。彼は、滞在1ヶ月の間に、それくらい私のつくってきたもの(Sbやパンダ本やballaholicのTANAの写真集やFATマグなどなど)と会話のいろいろを感じ取って、一緒にやりたいと思ったのだ。これはプレッシャーとかじゃなくて、燃える作業というか、最高の遊びだ。年末に差し掛かってきた現在、もうすぐ彼に送ることができるだろう、その1枚を。待ってろ、シェルトン! 私にそんなギフトをしてくれたシェルトンに、今度はキッズのジョーくんからサプライズ。よほどシェルトンのキャラクターやフレンドシップが印象的だったのだろう。ジョーくんは、自分の手で、そうD.I.Y.と自分だけのインテレスティングな心で、アートコートを作ってきてくれたのだった。それをシェルトンにプレゼントしたいと。これにはシェルトンも大感激。完成度もさることながら、ハートマークをたくさん象ってくる、その気持ちにグッと来てしまった。そういう気持ちを、アートコートは呼び起こしてくれもする。これは決してこじつけなんかじゃない。アーティスト、プレーヤー、プレーヤーだったペインターたち、コミュニティーの人々、みんながフラットに良いコートとそこでの出来事をプッシュしたいという気持ちがあるからこその交流。心の交流電流100万ボルトって感じなんだと思う。

Photography by Kenji Nakata

オープニングデーは、作家の舘花氏や吉川市市長も参加してくれた。市長はフリースローが得意だということで、セレモニーに始球式ならぬフリースローの提案をもらった。先ほども書いたけど、細いところにもストーリーがつながっていることを大切に思うgo parkeyは、どうせならば、ビギナーも、先輩後輩も、うまいも下手もない、公園バスケは公園バスケのカルチャーがあるということで、市長だけでなく、このプロジェクトに関わってくれてスピーチをした全員がフリースローをスピーチ後にそのまま打つということにした。だから、バスケをしたことがない舘花氏、スピーチのこともあえて何も聞かされてなかったサムもスピーチ&フリースローすることに。大人だって、突然すぎて緊張する。そういうライブ感をキッズに楽しんでもらった。そして、この日の主役。いや、これからの主役たち、キッズのクリニックがはじまった。マスターは、go parkeyでは恒例となる(これはマンネリではなく、go parkeyが思う公園バスケで楽しんだりジョインしていくポジティブなメンタルや起伏に富んだスキルを魅せてくれるのは、NYCでもそれを実践してきたリッキーがベストだと思うから)リッキー。そして、特別マスターとしてシェルトン。この2人で、フルコートを使ったクリニックだったりゲームをリードしてもらった。キッズも初めましての子が多い中、大人だって、リッキーとシェルトンで初めましてで、そこからフレキシブルにコンテンツが進んでいく。こういうところも、キッズが感じとってくれたらいいなと思ってる。あたふたしてピリつく大人なんて見たくないもの。おおらかに、現場でアジャストしながら、何がベストか考えて行動していく。もちろん笑顔で。真剣だからこそ表情が豊かで笑っているように見えてくる。そんな感じ。これは付け焼き刃では無理。本当にそういうストーリーを生きていないとできない。だからって、決して難しいことなんかじゃない。現にシェルトンだってリッキーだってABだって、そういうことができている。それを見たキッズが、たとえばジョーくんが化学反応していく。作家の舘花氏のキッズがインスピレーションを抱いていく。そういうことの積み重ねなんだと思う。何も偉そうなことを言ってなんかいない。言うつもりもない、ただ、キャンペーンではなく、プロジェクトとは、そういう地道さとストーリーに基づいた目に見える美しさと表情でキープオンしていくしかない。そのゴールというか未来への近道や高速道路なんてないのだと思ってる。この吉川市アクアパーク、PBと舘花則孝氏とgo parkeyとリッキーやキッズたちの出来事は、そういうものを立体化できた1つのインテレスティングな(トピックどころか)エピックだった。そんな気がしてならない。これもまた私的コラムならではの感想だ。今回のコラムは、go parkeyというよりも、いつも以上に、年末的というか、リマインドで思い出ポロポロな私ごとのインサイドコラムになっている。クドイがそのように書き加えておく。クリニックのときのリッキーの掛け声が好きだ。「ほら、やりたい人がどんどんやっていいんだよ。自分もやりたいって。遠慮しなくていいんだよ、ここは公園だよ。公園だったら、あいさつして、アピールして、参加してみよう」。そんな感じのことを、彼は歌うように言っている。礼儀やマナーと同時にポジティブかつジョインすることで感じる楽しさが芽生えていく瞬間。

Photography by Kenji Nakata

そういえば1ヶ月間の工期の中、作業途中でやるピックップゲームとは別に、代表ABが普段ピックアップしているところにもPBはやってきた。これもまた彼らのインテレスティングなことの1つだ。よく、酒を酌み交わせば人となりがわかるとか言うけれども、私たちの場合は、自分たちがつくったり関与したもの、例えばマガジンやフォトブックや撮った写真やアートコートなどで、その人のスタイルやスタンス、もしかしたら宗教観やプリンシプルまでわかるときがある。そこに加えて、ピックアップゲームにジョインしてマッチアップしたり、ピックアンドロールしたりすることで感じるものがある。ルーズボールにどれくらいハッスルか。リバウンドへのこだわり。積極的なシュート・アテンプツ。声を出したりハイタッチしたり、そしてそれがどんなシチュエーション、苦しいときもシンドイときもターンオーバーしたときもされたときも、声が変わらないか。一番は、ファウルの質。バスケにおいて、ファウルがないなんてことはありえない。だったら、体の接触はゼロでなくてはいけなくなる。だから、ファウルありきだし、ピックアップだとレフリーもいないから、より顕著にファウルに対する考え方やスタイルが出やすい。そのファウルが悪質だったりケガにつながりかねないものだったり、とくにオフバランスでのプッシングとか、ルーズボールでの腕ごとねじって取りにいくことだったり、肘を立ててエルボー気味にターンしたりといったことをせずに、コントロールできるかどうかが重要だったりする。ファウルだったら全部同じ。しないのが当たり前。それはそうだけれど、何度も言うが、レフリーがいないコールのみのピックアップだと、各プレーヤーのファウル的美意識に差が出てくる。そして、アジャスト力がものをいうのだ。ということで、PBとgo parkeyで、体育館でもピックアップを2度ほどやった。1度目から、すぐにサムやドリューのスタイルが、私たちと似たような感じだとわかった。フィジカルがものをいう。シュートレンジなんて関係ない。ミスマッチなんて、ピックアップはそれが当たり前。ディフェンスがズレたら打てばいい。入らなきゃ、ルーズボールを追いかける。悪質なファウルは絶対にしない。そんなところだ。そして、みんなよく声を出す。やっちゃダメなことより、やったらいいことをプッシュしていく。シェルトンはダントツにうまくて、そこら辺のバスケ経歴を振りかざす人より、格段のキャリアがあるのだけれど、コートの上ではそんなのおかまいなし。こちらがおかまいなしで挑むならわかるけれど、彼の方がおかまいなし。遠慮も何もなく、ゴリゴリやってくるラブゲーマー。そんなこんなで、1度目から激しく楽しくやりあったのだけれども、すぐに2度目もまたやってきたところに、共鳴感。おたがいが、またそのバスケをやりたいと思えたわけで、よかった(1度来て、違うと思えば、来なくなるのもまた自由)。そんなこんなで、グランドワークとピックアップとで、筋肉に心地よいダメージを残しながら、同時に、隙あらば、ストリートを突き進み、インテレスティングなものに触れてインプットしていったPBとの1ヶ月間。今思えばたった1ヶ月だったけれど、それはとてつもなく実際的で色濃い体験だったと思う。そして、それはgo parkeyにとってはもちろんのこと、PBの面々にとってもそうだったと思う。相互推進主義。受け身でもなく、押し付けでもなく、刺激し合い違いを認め合った果てにあるストーリー。私たちは、これまで意識していたわけではなかったが、公園の中でも、その外でも、いつだって、そういうコミュニケーションの上で日々を生きている。公園は特別なことではなく、ライフそのものなのだ。ありがとうプロジェクトバックボード、サム、シェルトン、エドウィン、ドリュー。そして2023年のすべて。さあ、2024年がやってくるぞ。楽しく正しく!!!

Photography by Kenji Nakata

Photography by Kota Okuyama



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2024年、プロジェクト3年メノ春アートコート新章。

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IMAONEニヨル、楽シクテ美シイ、ザ・ストリート・アートコート。