アー・ユー・ラブゲーマー? 公園バスケ旅の続きのはじまり。

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2021年に設立された、日本初のリノベーション・アートコート・プロジェクトを推進する一般社団法人go parkey。代表を務めるのはストリートボール・シーンではボーラーAB(えび)として知られる、海老原奨(えびはら・すすむ)。今回は、go parkeyが一体どんなことを目的としていて、スタッフはどんな人物なのかについて。これから恒久的に続いていくアートコート・プロジェクトのストーリーのイントロ的コラム。

Article_go parkey

Shooting_Kenji Nakata

We are playground basketball residents like pikeys!!!

齢30代で、たった今もピックアップゲームを楽しみ、バリバリの働き盛りのボーラー。そんなABは幼少期より公園でバスケをして遊んできた。体育館でのクラブ活動より、プレイグラウンドでの公園バスケの方が生活の近くにあった。多感な成長過程で、公園であらゆる世代と交流し、プレイグラウンドならではのマナーやルールを知り、自主性を磨くと、彼のようなボーラーが出来上がる。気づけば日本を飛び出して、世界中の公園でピックアップゲームやトーナメントに参加。ニューヨークやロサンゼルスのヴェニスビーチでも現地のコールにすぐにアジャストしていった。国内ではsomecity Tokyoの人気チームF’SQUADで活躍。ABの興味深いところは、公園バスケに夢中になると同時に、それだけのラブ・バスケを次の時代へどのような形でフィードバックするべきかを常に考えているところ。日本の大学、アメリカの大学、それぞれで学んだ(というより心身に染み込ませた)バスケットに付随する文化のアウトプットに余念がない。

その一手として、まずは公園でプレイすること。かつては、寝ても覚めてもバスケをしたくて、フープがある公園のすぐ近くに住みついていた。常に引っ越しの条件は、公園バスケができるかどうか。バス・トイレがどうなっていようが、間取りがどうであろうが、それは二の次だった。話が脱線している。このままではプレイするだけでABの人生が終わってしまう。それもまた良いし、美しいとは思う。ABの場合は、2020年(2021年開催)の東京五輪が、ラブ・バスケな自分史において、ひとつの大きなトピックになった。公園バスケ発祥の五輪新競技「3x3バスケットボール」の開催と運営に競技経験者として貢献したからだ。パンデミックに世論の逆風など、一筋縄ではいかなかったイベントを最後までゴールさせることができた自信。それは現在のgo parkeyの活動に受け継がれている。それが、どんなにタイトなスケジュールだとしても、コミュニティのために美しいアートコートをつくるという美意識を大きく支えている。

東京五輪後(正確に言うと五輪前からgo parkeyのプロジェクトの青写真は出来上がっていた)、ABはいよいよ次なるアクションに出る。前述した、夢中になってきた公園バスケに関する文化的貢献。シンプルかつ具体的にいうと、芸術(アートペイント)で老朽化した公園(コート)を再生し、明るい環境(コミュニティ)をキッズや公園利用者に有効活用してもらうプロジェクト。より良いコミィニティには、バスケットだけでなくアートやそこに集う人たちの様々なトレンドなど、得難いインスピレーションとコミュニケーションを促進するものが増えていく。これがまた文化のひとつになっていく。これが、ABのライフワークとなった。その理念やプロジェクトをひとつのストーリーとして、『企画し、アートコートを作り、記録し、アーカイブしている』のがgo parkeyなのだ。ちなみに、我々が考えたparkey(パーキー)とは、プレイグラウンドにいつでもいるpikey(パイキー)のようなボーラーなど、公園バスケを愛する人々を表す造語である。

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一般社団法人go parkyの代表、海老原奨に聞く、公園バスケの現状とリノベーション・アートコート・プロジェクトについて

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シュンスケイマイ、 ユー・ノー? 日本初のアートでコート・リノベーション。